禁断のカジノ必勝法を開発した天才数学者 | エドワード・ソープ
エドワード・オークリー・ソープ(Edward Oakley Thorp)の名前を聞いたことがなかったとしても、カジノゲームで有名なブラックジャックの必勝法「カードカウンティング」についてなら、聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
エドワードは、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で学士号を取得した後、MITで教鞭を取るなど、学者として非常に優秀な経歴の持ち主でしたが、実はその頭脳を活かした、「もう一つの顔」がありました。
では、続きをどうぞ。
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天才数学者エドワード・オークリー・ソープの紹介
エドワード・ソープの経歴と人物像について、紹介いたします。
エドワード・ソープの経歴
エドワード・ソープの経歴は以下の通りです。
- エドワード・オークリー・ソープ(Edward Oakley Thorp)
- ・生 誕:1932年8月14日(90歳)
- ・出身地:アメリカ合衆国イリノイ州クック郡シカゴ
- ・職 業:数学者、金融工学者
年 | 出来事 |
---|---|
1955年 | カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) で物理学を専攻 |
1959年 | マサチューセッツ工科大学 (MIT) で数学講師の職に就く |
1962年 | ブラックジャック必勝法を解説した書籍『Beat the Dealer』を出版し、70万部の売上 |
1967年 | 書籍『Beat the Market』を出版 |
1969年 | ヘッジファンドのプリンストン・ニューポート・パートナーズを設立 |
1988年 | 同社は活動停止命令を受ける |
1989年 | 自身が代表を務めるエドワード・O・ソープ・アソシエイツに籍を置く |
1998年 | 個人での投資が28.5年間にわたり年率平均20%の利益をもたらしたと発表 |
エドワード・ソープの人物像
エドワード・オークリー・ソープ(Edward Oakley Thorp)は、アメリカ合衆国の数学者で金融工学者です。エド・ソープとも呼ばれ、数学理論をブラックジャックなどの、カジノゲームに適用したことで知られています。
1959年マサチューセッツ工科大学 (MIT) で数学講師の職に就いたソープは、MITの大型計算機を使いブラックジャックの必勝法を数学的に編み出すことに成功します。カードカウンティングとよばれる確率論を用いた手法により、統計的に有意に勝てることを証明したソープは、これを実証するためカジノに乗り込み、週末2日間だけで賭け金10,000ドルを2倍以上に増やします。
1962年にこの必勝法を解説した書籍 『Beat the Dealer』を出版し、70万部以上を売り上げました。なお現在ではカードカウンティングを認めているカジノはありません。全面的に禁止されています。
その後、ソープはこの理論が株式や金融など、ほかの分野にも応用できる事に気付きます。そして1960年代後半には株式市場で、確率と統計に関する知識を活用し、大きな成功を収めました。
そしてその成果を書籍『Beat the Market』で公表します。ソープが開発した取引手法は、後に金融工学に大きな影響を与える、ブラック–ショールズ方程式となります。
エドワードの開発したカードカウンティング
エドワードの開発したブラックジャックカードカウンティングと、そのカードカウンティングを実践した事で話題となったジェフ・マーについて解説いたします。
ブラックジャックとは
そもそもブラックジャック(Blackjack)とは、トランプを使用するゲームの一種を指します。カジノで行われるカードゲームでは、ポーカーやバカラと並ぶ人気ゲームです。
カードの合計点数が21点を超えないように、プレイヤーがディーラーより高い点数を得ることを目指します。バカラやおいちょカブと似たスタイルのゲームですが、カジノの中では数少ない、プレイヤーの勝算が高いゲームといわれています。
カードカウンティングについて
カードカウンティング(Card Counting)とは、ブラックジャックやポーカーなどのカードゲームで、既出のカードを記憶しておくことを指します。記憶することにより次に出るカードを推測しゲームを有利に運べます。
個人の頭の中での技術なので、罪に問われることはありません。しかしこの技術に長けたものが相手となると、カジノサイドは大きな損害が生じかねないので、カードカウンティングを行っていると見なされると、プレイや入店が禁止されます。
1960年代にこの手法を編み出したエドワード・ソープは、カジノで実践し儲けすぎてブラックジャックの胴元を破産させた、という逸話が残っています。
しかしカジノサイドが禁止していても、カードカウンティングは現在でも密かに行われています。近年、大きな話題を呼んだのは、現在は実業家として成功しているジェフ・マーの事案でしょう。
ジェフ・マーの『ラスベガスをぶっつぶせ』
ジェフ・マーはマサチューセッツ工科大学4年生の時に、MITブラックジャックチームに参加します。同チームはラスベガスに乗り込み、集団でカードカウンティングを実践して、その結果7年間で500万ドルを稼ぎ出します。
この実話は作家のベン・メズリックにより小説化され、2008年に『ラスベガスをぶっつぶせ』というタイトルで映画化されました。
ちなみにこの事案に心底懲りたラスベガスのカジノは、これ以降MITの卒業生の顔写真を毎年収集していると言われています。MITでエドワード・ソープが開発したカードカウンティングは、彼の後輩たちにも引き継がれていったと言えるでしょう。
エドワード・ソープの功績
エドワード・ソープの功績について、ブラック–ショールズ方程式と、その方程式の数学的証明からノーベル経済学賞を受賞した二人の経済学者について紹介いたします。
ブラック–ショールズ方程式とは
ブラック–ショールズ方程式(Black–Scholes equation)とは、デリバティブの価格付けに現れる偏微分方程式とその境界値問題のことを指します。様々なデリバティブに応用できますが、特にオプションに対しての適用が著名となっています。
ブラック-ショールズ方程式は、ヨーロピアンオプションのオプション・プレミアムの値を解析的に計算できますが、アメリカンタイプのプット・オプションについては解析的には計算できません。
ただしアメリカンコールオプションの理論価格は、ヨーロピアンコールオプションの理論価格と一致します。
ブラック–ショールズ方程式は1973年にフィッシャー・ブラックと、マイロン・ショールズによりオプションの価格付け問題についての研究の一環として発表されました。
後にロバート・マートンが彼らの方法に厳密な証明を与え、この理論は現代金融工学の先駆けとなりました。今ではブラック–ショールズ方程式は、金融業界においては知らぬ者はいないといえます。
マイロン・ショールズとロバート・マートン
マイロン・ショールズ(Myron S. Scholes)は経済学者で、ブラック-ショールズ方程式の、有名な起草者の1人として知られています。また、ロバート・コックス・マートン(Robert Cox Merton)も同じく、アメリカ合衆国の経済学者です。2人はブラック-ショールズ方程式の数学的証明で、1997年ノーベル経済学賞を受賞しています。
ですからブラック-ショールズ方程式といえば、彼らの名前が挙げられることになります。
しかし、ブラック-ショールズ方程式は、1967年にエドワード・ソープが書籍『Beat the Market』の中で公表した取引手法が基になっています。つまり直系のご先祖様といっても差し支えないほどですが、エドワード・ソープの名はノーベル賞にはありません。それはなぜなのでしょうか。
学問よりも実利を重んじたエドワード・ソープ
エドワード・ソープは1969年にヘッジファンドの、プリンストン・ニューポート・パートナーズを設立します。そして顧客のためにさまざまな手法を駆使して、収益が上がるように努力をします。
しかし、その過程で得られた重要な研究業績は一切公表しなかったのです。学問上の名声より実利を重んじのだともいえますが、もしも論文として公表していたら、ノーベル経済学賞はエドワード・ソープに与えられていたかもしれません。